コレクションで作った借金を借り換え

kutikomi


私は某一流ホテルの和食部の副料理長として勤務する30代後半の板前で、2年前に結婚して1児の父親にもなりました。
板前の世界に憧れて沖縄の高校を卒業して上京して調理師学校に入って調理師になるための基礎教育を受けて調理師資格も取得しました。

その後、調理師学校の紹介で現在のホテルの和食部に入れてもらい見習いから始まって長い修行生活が始まりました。

和食の調理師の世界は昔からの徒弟社会を今でも踏襲していて、お世話になる調理長の事は「オヤジさん」と呼んでおり、礼儀挨拶から言葉使いから始まって厳しい下働きの修行を通じて実際の親以上の教育をしてくれます。

通常、板前は親方について5~6年の修行をしたら親方の紹介で別の和食店に勤務して別の調理長の下で中堅の板前として今までとは異なる料理を数年は勉強します。

私の場合も、一度は別の料理店の中堅として出向きましたが3年ほどで再度、今迄のホテルの和食部に煮方「主に煮物を担当する部門」として戻ってきました。

板前になった初めの頃は、10年修行したら独立して自分の店を持つことを夢見ておりましたが、先に独立して言った先輩や同僚の板前達の実際を知るにつれて独立する事もかなり大変な事だということが判ってきました。

特に世間で言うリーマンショック後の不景気で、この数年の間に独立した仲間達の苦戦振りを聞くと独立について考え方が変わってきました。
幸いにして自分の勤務するホテルは全国に展開している大手ですので、いずれはグループホテル内の和食部の調理長にもなれるかもしれません。
子供も出来たので、職場結婚の家内と独立しようという夢はしぼんできましたが、このままこのグループホテルに留まって人生をエンジョイしたいと考えるようになりました。

そんな事が気の緩みになったのか、お盆休暇には家族で海外旅行をしたり、独立を考えていたので、少しづつ始めていた「骨董品と絵画」のコレクションや、高級和食器の収集に入れ込んでいました。
そんな事で、金が必要になり海外旅行はカードの分割払いで行ったり、その他のコレクションにはカードローンを数社に分けて資金を作っていました。

料理の事以外に世間知らずの自分ですが、これほど借金が重なると月々の返済が大きくなり、生活にも影響がでるとは考えておりませんでした。
もちろんの事、海外旅行や骨董品のコレクションは、現在はストップしておりますが今迄のカードローンに苦しむ構図は変わりません。
苦しむなかで、親方から「ばか者!」と叱られるのを覚悟して相談してみましたら、親方は笑いながら「俺も若いときに同じような失敗をした事があるよ!」と言って、複数の借金を借り換えて一本にまとめる事を教えてもらいました。

それから、色々と調べた結果、たどり着いたのが銀行系の「カードローン借り換え」でした。
自分はインターネットができないので会社の同僚に代わりにネットで申込を手伝ってもらいました。

結果、良かったのは一流ホテルのしっかりした給与制度でしたので無事に審査に通り、複数の借金を全て返済して一本化出来たので、月々の返済金額も半分以下になり生活のペースも元に戻せました。

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